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金があること、高い地位にあること、豪華な家に住んでいること、高い服を着ていることを端的に誇らしく思い、能力のある人間が優雅に暮らし、無能で非力な人間たちが路傍で飢えているのは自己責任なのである。能力がある人間が高い格付けを受け、無能な人間が軽んじられ、侮られるのは適切な考課の結果であり、それが社会的フェアネスなのだと広言するような人々がオピニオン・リーダーになりました。
私はそういう考え方は「よくない」と思っています。
共同体はそのメンバーのうちで、もっとも弱く、非力な人たちであっても、フルメンバーとして、自尊感情を持って、それぞれの立場で責務を果たすことができるように制度設計されなければならないと思っているからです。それは親族や地縁集団のような小規模の共同体でも、国民国家や国際社会的のような巨大な共同体でも変わりません。
もっとも弱く、非力なものとともに共同体を作りあげ、運営してゆくためには、どうしてもそれなりの数の「大人」が必要です。十分な能力があり、知恵があり、周囲から十分な敬意や信頼を得ている者は、その持てる資源を自己利益のためではなく、かたわらにいる弱く、苦しむ人たちのために用いなければならないと考える「大人」が必要です。
社会問題はぎりぎり切り詰めると、実践的には「どうやって大人を育てるか」というところに行きつきます。私はそう思います。社会全体を一気に、全体として「正しいもの」にすることはできません。でも、社会はフェアで、手触りの優しいものでなければならないと信じ、そのために自分の持てる力を用いる「大人」たちの数を少しずつ増やすことは可能です。内田樹の研究室
若者よマルクスを読もう・韓国語版序文